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湯村山城

少し前ですが甲府市街地の北部にある湯村山城跡に行きました 戦国時代武田氏の本拠である躑躅ケ崎館から東に3kmほどの場所にあります

湯村山頂上(標高446m)には、湯村山城の跡があります。城跡は、東西約65m、南北約125mの 湯村山城は、かつては湯ノ島山城とよばれ、一説には烽火台ともいわれましたが、発掘調査の結果、土塁や堀切の遺構によって、本格的な城であったと考えられます。

高白斎記によると大永三年(1523年)に武田信虎が躑躅が崎の館に続いて、詰城としての要害城、見張りの城としての湯村山城を築造しました。(説明文と縄張り図は湯村温泉ホームページから引用しました)
yumurayamajyou.jpg

DSC09668_convert_20170320191311.jpg

DSC09671_convert_20170320191046.jpg南帯郭から1郭(主郭)を見ると、そこが立派な切岸の上にあることがよくわかります

DSC09700_convert_20170320191208.jpg1郭は4方を土塁が築かれて囲まれてます。また土塁を挟んだ東側が2郭となります
城域は全体に固い岩がごろごろしてる場所なので普請も大変だったような気がします

DSC09655_convert_20170320190740.jpg3郭(北郭)との間には2重とみられる堀切(横堀)がある
大きな城ではありませんが、良くまとめられて作られてる感じがしました

DSC09665_convert_20170320190921.jpg城跡から甲府の市街地や甲府盆地がよく見渡せられますね

KIMG0670_convert_20170320191537.jpg麓の山際に鎮座する湯谷神社。その境内に戦国時代に信玄の隠し湯とされた湯村温泉(志磨の湯)についての説明板です また天正九年三月に勝頼公がここで湯治中に領民が直訴に来た!?という話も残ってるようです...
KIMG0668_convert_20170320191428.jpg(+クリックで拡大します)

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のろし台を散策

北杜市の旧須玉町には奥秩父を水源とする塩川が流れますが、それに沿って小尾街道(信州道とも)が古くから通っています。この日はその付近に残る烽火台跡に行ってきました
IMG_0282_convert_20151220091440.jpg大渡の烽火台 ちょうど塩川の流れが蛇行してる渓谷添いの山の先端に築かれてます 登り口ですが城山を貫くトンネルを通り抜けてから脇に入る旧車道を入り歩き始め鳥井峠の切通からから登城しました(昔の街道も途中この小峠を越えたと思われます)
IMG_0288_convert_20151223183619.jpgお堂跡?峠の脇に残る階段
 
大渡という地名ですから以前はこのあたり塩川の渡河点があったのでしょうね また3kmほど南下流には天正壬午の戦いで攻防があった江草の獅子吼城があります

IMG_0361_convert_20151220093659.jpg登りだすと意外と急な斜面で踏み跡もはっきりしませんでしたが、しばらくすると遺構がみえてきました(*^_^*)

IMG_0303_convert_20151220091621.jpg5、6段はあろうかと思われる腰郭です

IMG_0354_convert_20151220092930.jpg2の郭ともいえる段郭の最上部

IMG_0317_convert_20151223181416.jpg歩き出してからの比高は80mほどで到着。 主郭に祀られてる秋葉神など 

IMG_0330_convert_20151220092222.jpg。山頂にある主郭は30mほどの細長い形状で北側に削り出し的な高さ1mほどの土塁が良好に残ります  西側には小堀切があり、まっとまった備えとなってました。 

IMG_0325_convert_20151223184523.jpg
堀切を別角度から....特に渓谷側の尾根は急崖である

IMG_0343_convert_20151220092731.jpg主郭付近から見えた金峰山瑞牆山
少し話がそれますが金峰山は甲州御岳山とも呼ばれ古くから信仰の山とされ登る信者も多かったそうです またこの山の麓には、以前は金の採掘があったようで関連する遺跡や地名(金山千軒など)も残っています

IMG_0368_convert_20151220094415.jpg比志の城山 大渡の城からは北側1km弱の距離に位置してます 割と近いですね

IMG_0376_convert_20151223183250.jpg主郭と二郭でなり、それぞれなかなかの広さがありましたね 歩き始めからの比高は100mほどでした 腰郭や堀切などもなく、古い形体の城かもしれません

IMG_0378_convert_20151220095209.jpg主郭には社が祀られてました

IMG_0379_convert_20151220094705.jpgだいぶ朽ちてきた城の標識

IMG_0380_convert_20151220095049.jpgの説明(+クリックで拡大します)

IMG_0383_convert_20151220095318.jpg虎口跡でしょうか 僅かに土塁がありました

のろし台については武田氏の軍法に飛脚篝火といわれる制度があり甲州や信州方面に各所に張り巡らせてあったようです 『甲陽軍鑑』には「大河をもって用うべし」とあり大きな川に沿った山々に配置されていたようで、近距離での通信手段には烽火のほかに、晴雨に影響されにくい音(法螺貝や太鼓・鐘をなど)も、用いたりしたようです....実際はどうだったんでしょう!?
 

2015 12月初旬に訪問

 小山城(甲斐)

甲斐小山城は笛吹市八代町にあります。
IMG_3572_convert_20140813205319.jpg  IMG_3461_convert_20140803125831.jpg説明板
                     (画像が大きくなります)                           
城の歴史: 1450年頃には国人の穴山氏が居住しており小石和の武田信重を攻めてる。信虎時代の1523年には穴山信永が鳥坂峠を越えて来た南部氏と合戦し小山城でも防戦したが利あらず落ちて自害しました。 1548年にはその南部氏が武田氏によって追放さて廃城となります  その後天正壬午の乱(1582年)では徳川方の将鳥居彦右衛門に修築させ騎馬130、雑兵600で
北条方に対し守備させたという

IMG_3467_convert_20140803130051.jpg城を囲む土塁の隅に東屋が建つ櫓台跡
この部分は塁線がやや突出してる形になり横矢掛け出来る工夫とも思われます。また櫓を築くにあってのスペース確保の意味もあったかもしれませんね(夏場は草で見えないかも)

IMG_3570_convert_20140813201720.jpg虎口跡 東側土塁の中央にあり脇に石組みが遺存してます 今は右側の堀は無くしてますが、甲府の武田氏館の入り口を少し彷彿させるような雰囲気でもあります。現在は平虎口となってますが往時はどうだったんでしょうか.....

IMG_3479_convert_20140803130449.jpg北側に見れる横堀 こちらは天川に向かい,やや急崖になってますが、このように配されてます また形状から帯郭としての機能も考えられます

IMG_3495_convert_20140803130822.jpg西側の堀と高土塁 堀底からだと7~8m以上はありそうで傾斜も大きく見事なものです

IMG_3504_convert_20140803131116.jpg空堀も良好に残り、広いとこでは幅10mぐらいありそうだ。また南側の一部分の土塁と堀が無くなってますが城割などの痕跡なのか、何かに利用の際に削られたのかはわかりません


IMG_3501_convert_20140803131048.jpgおおよそ80m~100m四方の土塁で囲まれた内側は現在は公園広場になっていて平らですが、かつては段差があったといわれる...「笛吹市探訪 史跡小山城」より。  春先には桜の木々が塁上で花を咲かせます 


IMG_3573_convert_20140813201924.jpg(1)興味深いのが、南から西面に堀の外側にも見られる土塁です。堀の深さのバランスのためとも考えられますし、あるいは二重塁にして防御を高めたとも思えます。

IMG_3579_convert_20140813202500.jpg(2)隅の箇所 外塁は高いとこで2mぐらいあります。現在ほぼ単郭の方形居館の城となって周囲は畑などになって遺構はありませんが最終期には他に外郭などがあったのかも?知れません(勝手な妄想です)


IMG_3580_convert_20140813203514.jpg南側の先にあるこの流れも堀川となって外郭ラインを形成したのでしょう 小さな川ですが4~5mの幅はありそうでした

IMG_3491_convert_20140803130904.jpg北面下には天川が流れていて、この城が河岸段丘の上にあることがわかります。比高もあって盆地方面の眺望も良いです 近くには駿河に通ずる若彦路や御坂路(旧鎌倉道)があって古くから交通の要所になっていたのでしょう 遺構も見事ですが城の歴史もかなり混沌としていて興味深いと感じます

2014年 4月、8月に訪問


大蔵経寺山(御室山)

山梨百名山の一つで笛吹市ある大蔵経寺山に行ってきました もちろん山歩きだけではなく城の遺構の散策も兼ねてました

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登り口にある案内図(クリックで大きくなります)
近くには名前のもととなった大蔵経寺に物部神社や山神宮社、積石塚古墳郡など古くからの歴史を感じさせる史跡も多くあって興味深い
また大蔵経寺山が御室山とも言われるのは麓の春日居町の鎮目地区にある山梨岡神社の由来とかかわりがあるからだそうです

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山の中腹からは武田信虎が躑躅ヶ崎館に移動する前(1520年頃まで)に居たとされる川田館跡と推定される場所が良く見える‥ 距離からしてこの山の遺構はその当時に関係したものかもしれないですね。また明治40年の大水害の以前で笛吹川の流路は現在の平等川を経由した位置(水色のライン)で居館に近くにあったのなら天然の外堀になってたとも考えられます

IMG_3002_convert_20131223115127.jpg山梨百名山でもある715.6mの山頂
 登り始めからの比高差は450m程あって、結構に高かったです。山の上は緩やかな稜線で広々した尾根が続きます。もしかするとこの付近一帯の自然の平場が主曲輪となってたのでは?ですね(^_^)

IMG_3005_convert_20131223115337.jpg堀切の近くの自然石ですが、いざという時には障害物として機能したかもしれません… 

IMG_3040_convert_20131223151833.jpg唯一に遺構として
確認できたのは山頂から尾根を北西に少し行った場所にある1本の堀切のみですが、なかなか立派なもので嬉しかったですね

IMG_3039_convert_20131223151739.jpg土橋も残ってます

IMG_3033_convert_20131223151508.jpg斜面を左右に竪堀となってました はっきりとした遺構が今回はこの堀切だけでしたが比高もかなりあるので逃げ込みの場所としては良くて確保されてたと思います

IMG_3073_convert_20131223153717.jpg中腹から見た甲府盆地と石和温泉街の景色です


2013年冬に訪門

獅子吼城

IMG_2718_convert_20130102231108.jpg獅子吼城 北杜市の須玉町にあって、別名、江草城とも。当時この城は眼下に流れる塩川に沿って延びる小尾街道(穂坂路)を押さえる重要な城でした 麓の集落には根古屋(神社)との名前もあり当時の様子を知る上で興味深いと思われます

IMG_2583_convert_20130102194849.jpg(城山の遠景)民家のある東尾根続き箇所まで車で行け歩道入り口に説明板があります また手前の道路の橋梁も堀切?であったらしい。

IMG_2588_convert_20130102195148.jpg尾根に残る堀切 斜面は竪堀となり続いてます 尾根上も郭状であったかもしれません

IMG_2626_convert_20130102200047.jpg枡形付近
尾根筋と大手道線(推定)が手前で合流し右側に曲がって虎口にはいるかたちです

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虎口の内側。 左下の進入路に対しても充分に横矢掛けでき絶妙な場所につくられてます。 また斜め上に存在する郭もここに対し備えてるようだ

IMG_2633_convert_20130102200707.jpgさらに横堀があって曲がりながら城内へと導いて行きます

IMG_2644_convert_20130102200819.jpgこちらは中腹に残る長大な竪堀。なかなかの大きさで見応えがありました。

IMG_2652_convert_20130102201249.jpg帯郭 竪堀の間に挟まれる形でテラス状に長く設けられてる遺構で興味深い

IMG_2689_convert_20130102202618.jpg石積みがある腰郭 岩が多い山であるせいもあろうが随所に見られます

IMG_2716_convert_20130102230935.jpg主郭は、おおよそ40m×25mあり広々した感じです。北東面に土塁&石で虎口を形成してある。見晴らしは良く塩川沿いに信州峠へと繋ぐ他の烽火台が、南西に若神子 新府城などが望めました。

IMG_2726_convert_20130104105138.jpg二郭は主郭の下周囲を三方に巡ります

戦国時代後期の遺構が多く見られる感じですが、城の歴史は古く(鎌倉末期?)時代ごとに逸話などもあり伝わってるようです。
img010_convert_20130105145439.jpg「概略図」
天正十年壬午(1582年)9月初旬、当地が小田原の北条軍と徳川家康の係争の地となった折、地元の津金衆、小尾衆など旧武田遺臣と服部半蔵が率いる伊賀組が、この城に夜襲をかけ落城させている。これにより徳川軍の勝利が決定的になっただけでなく甲州における戦国時代最後の合戦でもありました。


 2012年 12月初旬訪

 
場所の地図

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